挑戦の人生!豊田喜一郎から人生の歩み方を学ぶ

一つの時代を作り、事業を成功に導いた経営者からは、現代社会に生きる私たちも多くのことを学べます。

彼らの示した仕事への情熱や取り組み方は、時代を超えて私たちの心を揺さぶり、日々の仕事を行う上で大切なことを気づかせてくれます。

今回は、時代に挑戦し続け、たくさんの功績と名言を残した豊田喜一郎の生き方に迫ってみましょう。

☆略歴・功績

豊田喜一郎は、超有名自動車メーカーであるトヨタ自動車の創業者です。

アメリカを視察して、これからは自動車の時代だと確信した父の影響を受け、日本においてはまだ新規産業であった自動車業界を立ち上げることを志します。

わずか4馬力のエンジンを手始めに、AA型乗用車の製造を行い、トヨタ自動車工業を設立します。

輸入車がほとんどの時代にあって、国産の自動車作りを目指すのは挑戦的なアイデアでした。

悪戦苦闘しながら開発を続け、さまざまな困難を乗り越えて日本に初めての大規模自動車工場を作りました。

戦闘用車両しか作ることが許されなかった戦時の危機をも乗り越えて産業界のリーダーとして長年活躍しました。

その後、会社を退いた後も小型車や自動変速機の研究などに自らを捧げ、挑戦し続ける人生を送りました。最期まで大衆に愛される自動車を作ることに心血を注いだ生き様でした。

☆エピソード

豊田喜一郎は、気力と体力が豊かな人材を大いに重要視し、机上の空論を憎む人でした。

理屈を唱えることよりも、自ら汗と油にまみれながら、実践の中で答えを探すタイプだったようです。

実際工場で部下と交わすのは「手が油まみれになっているか」という言葉でした。

また、部下の作業を見ていて口から出るのは、「言ったとおりにやれ、それでできなくても文句は言わない」「できないと言う前に、まずやってみろ」という言葉だったといいます。

失敗を恐れずに、自らの可能性を信じチャレンジすることを常としていたわけです。

これは、発明家の父譲りの考え方でした。挑戦の人生を続けた豊田喜一郎ならではの仕事に対する真摯な向き合い方が伝わってきます。

☆名言

豊田喜一郎が偉大な創業者になった理由の一つを示す名言があります。

「誰もあまりやらないこと、やり難いことをものにして見せることに人生の面白みがある」と語った豊田喜一郎の言葉からは、決して諦めず、難しいことへの挑戦を恐れなかったことが伝わってきます。

みんなが着目しない分野だからこそ、そこに活路を見出す着眼点の鋭さが成功の鍵ですね。

また、「一本のピンもその働きは国家につながる」とも述べており、小さなことがより大きなことにつながっていくという視野も大切にしていました。

自分が諦めずに続ける努力がゆくゆくは国家や日本国民のためにもなるという広いスケールで物事を考えていたこともわかります。

さらに、「人間のやったことは、人間がまだやれることの100分の1に過ぎない」という言葉から、自分自身、ひいては人類の持つ無限の可能性を信じる強さが豊田喜一郎を支えていた様子も伺えるのではないでしょうか。

☆オススメの本の紹介

日本の自動車事業に生涯をかけた豊田喜一郎の人生については、和田一夫・由衣常彦著の「豊田喜一郎伝」で詳しく知ることができます。

誕生から、幼少期の発明心の芽生え、欧米旅行での自動車との出会い、自動車産業への着手と戦時中の苦労、戦後の復興など、年代を追って豊田喜一郎の歩みを紹介しています。

さまざまな苦労を乗り越えて成功した鍵をこの本から見つけられるでしょう。

綿密な資料調査に基づいて等身大の豊田喜一郎を知ることができるこちらの書籍は、www.unp.or.jp/ISBN/ISBN4-8158-0430-3.htmlより購入できます。